ayumi-2『川崎の女性のあゆみ Ⅱ ~男女平等を求めて~ 1970-80年代』を作成しました。
すすめる会が2年がかりで作成した冊子です。
2014年3月発刊 700円+送料 でご希望の方は
himiko@r4.dion.nejp 藤井光子までご連絡ください。

以下、冊子の概要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発刊にあたって

川崎の男女共同社会をすすめる会
2014年3月 編集委員会

2007年4月のすすめる会編『川崎の女性のあゆみ~男女平等をめざして~1945−1975』発刊から3~4年ほどたつ頃から、幹事会のなかでは、続編作成の話題がちらほら出るようになりました。しかし、1975年に続く時代の激動と複雑さを把握して、冊子を作成するには膨大な時間とエネルギーが必要であることは火を見るより明かで、率先して作ろうと言い出せる人はいませんでした。

そんな折、すくらむ21が企画、すすめる会も協力した〈映画とトークセッション『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』〉がありました。「山川菊栄の思想と行動を知る」と題したお話の中で講師の井上輝子先生が、地域で生きる女性たちの記録としての『川崎の女性のあゆみ』を高く評価して下さり、ぜひ読編を作って欲しいとすすめる会への期待を述べられたのです。その言葉が深く私たちの胸に響き、やがて心の中で膨らんできました。

幹事会での度々の論議の末、私たちは2013年度男女共同参画センター協働事業に、2年継続の事業として「川崎の女性のあゆみⅡ男女平等を求めて 1975~85」冊子作成の企画を応募し、受託しました。

言うまでもなく、この時期は1975年の国際女性年と「国連女性の10年」(1976~85)に重なります。国連の後押しもあって、男女平等の意識と要求も急速に高まった時期です。日本は戦後の復興期を経て、高度経済成長から低成長時代へと移っていきます。企業は多国籍化して経済大国日本となり「バブル経済」状況の中で私たちは生きていました。

この時期、川崎には全国から労働者が流入し、ここで結婚して、多くの新しい生活が始まっていました。同時に川崎公害など高度成長の陰の部分も出現しました。革新市政が誕生し、街づくりが進みました。戦後の川崎の特徴である社会教育活動が盛んになった時期でもあります。

川崎で生き、暮らしている女性たちには、共通して職場での女性差別があり、保育園、学童保育、学校をどうするか、子どもたちの健康を守るためどうするかなど難問に直面します。それらにどう対処し、いかに生きていくかが求められた時代でした。

編集委員会はそういう大勢の女性たちの名前をあげ、様々な分野で活躍した方々に執筆をお願いし、彼女たちが、当時どのように感じ、考え、周りの人々と手をつなぎ行動していたかを綴って頂きました。テーマによっては座談会で語り合っていただいたり、あるいはインタビューをして編集部でまとめました。

ここに収録された手記を読むと、草の根に生きる1人一人の女性たちが、安心して過ごすことができる環境をつくるために、信頼できる仲間と共に協力し合いながら、市民運動などに生き生きと取り組む姿が浮かび上がってきます。そして男女共同社会を目指す取り組みが、活発に展開されていったことも見逃せません。

前編である『川崎の女性のあゆみ1945-75』(2007.4発刊)の続編になる『川崎の女性のあゆみⅡ』は、当初1975-85年に限定して企画したのですが、時代を途中で区切ることは難しく70~80年代をもはみ出して書かれた内容もあります。『10周年記念誌すすめる会のあゆみ』(1996.5発刊)の3冊を合せて、川崎で男女平等を求めて生きた女性たちの思いや運動の一端を記録できたのではないかと思います。一市民である私たちがどこまで出来たかは読者の方たちの評価に委ねるところですが、私たちの前には、これに続く90年代から現在を綴ってくれる若い世代にどうやってバトンを渡すか、新たな課題が残っているように思えます。

 

 

冊子の目次です。画像をクリックすると、PDFでご覧になれます。

 

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新聞に掲載されました。

神奈川新聞  2014.4.25

東京新聞  2014.4.25