ともしび会に感謝をこめて

ともしび会に感謝をこめて

元新日本学園保母 高橋たか「(岩手県花巻市)」 

「ボランティア東芝ともしび会」

私にとって何とも言い表わせない暖かい懐かしい思い出のいっぱいある名称です。

其の1、ともしび会が養護施設新日本学園に足跡を残した最初の年が、

私が学園に就職した年と同じ昭和42年の同期生だったことが年齢や

その他の垣根を取り外した交流となって、学園を辞して十年に至っても続いている処です。

其の2、ともしび会が子供達の生活にどれだけ幸福感や潤いを与えてくれたか、

計り知れません。私が在職当時皆さんと一緒に行動を取った場所は、お花見遠足三ッ池公園、

上野動物園、東芝科学館、お花見向ヶ丘遊園、野毛山動物園、子供の国遠足花火大会、

毎年12月お餅つき大会、等々・・・

今はガッチリ学園のボランティア行事として定着しているともしび会行事です。

学園を去って十年余り経てもあの子供達の喜びに満ちた顔は忘れられない想い出です。

其の間のリーダーとして鈴木重一様や角藤常雄様のご苦労は

如何ばかりだったでしょうかお察し致します。経費の事、会員の掌握、

上司との交渉等にめげず現在迄頑張ってきた事に頭の下がるのを禁じられません。

ただ感謝あるのみです。

ありがとうございました。

次に子供達の喜びの姿の事例を二つ程書きます。

餅つきの日の兄と妹 昭和53年12月10日の餅つき大会の日でした。

隼組から高校生二人中学生二人が餅つきする事になり、そのうち一人の高校生がつき始めました。

この児は常に組の子供達とあまり交流を持たず、何かを考えているような子でしたが、

すすんで搗くと申し出た事が彼としても珍しいことで、ボランティアの空気にふれ活気的行為で、

私も喜んで見ていました。そこにきく組の彼の妹がニコニコし乍らとんで来て、

「先生!お兄ちゃんがお餅を搗いている」と話していました。

「良かったね、嬉しい?」と聞くとうなづき、「うん、とっても嬉しい」と言い、

担任の岩間保母のところへ駆けて行き報告していました。兄弟でも学園では男子棟、

女子棟と分れての生活故家庭の様にはいかない。ともしび会の様に学園全体はオープンの行事は少なく、

子供達は開放感で大喜びでした。

次にお花見遠足で子供の国へ行った時の事です。お昼になり、

ボランティアのお姉さん達が朝早くから作って持参したお弁当をシートの上に並べ、

ごちそうになった子供達は学園のお弁当と違うのでそれも大喜びで、ごちそうになり、

そろそろ終わり頃になった時、今迄快いお天気が急に暗くなり、変な風と共に

ポツリポツリと雨が降ってきました。勿論雨具の用意はなく、皆慌てて片付け、帰り仕度を始めました。

次第に雨足は強くなってくるし、雨宿りするところもなく、大急ぎで駅に行くことになり幼児、

小学校低学年児は走り出した時、ボランティアのお兄さんお姉さんは自分の上着を脱ぎ、

子供達にかけてくれたり、おんぶをしたり、てんやわんやでした。

子供達は雨にぬれたことよりも、お兄さんお姉さんの背のぬくもりを感じたらしく、

中にはぐっすり眠った子もいました。学園で不足しているスキンシップを感じたのでしょう。

おかげさまで、風邪などひいた子は一人もなく全員元気で翌朝を迎えたことえお覚えています。

子供達の心の中に皆様の心づくしが大きく、根付いていると思います。

深く感謝あるのみです。ありがとうございました。

「継続は力なり」とか。本当にそうだと思います。20世紀から21世紀迄貫き通した、

ともしび会のお働きは何物にも変えられない心と心のつながりを持った光としていつまでも輝くことと思います。

ありがとうございます。


前のページ   次のページ

目次へ